女優でタレントのあき竹城が2022年12月15日に亡くなっていることが分かりました。
所属事務所によると、約2年前から大腸がんを患い闘病していたとのことです。
今回は、そんなあき竹城の若い頃を画像とともにお伝えしていきます。
なんでも昔はストリッパーとして活躍しており、夢だった宝塚に入ることを断念していた過去があることが分かりました。
あき竹城さんが大腸がんのため死去
山形弁を話し、個性的なキャラクターが人気を集め、バラエティ番組にも多数出演した女優・あき竹城さん。
2022年12月15日に亡くなっていたことが分かりました。
75歳でした。
所属事務所によりますと、あき竹城さんはおよそ2年前から大腸がんを患い闘病を続けていましたが、今月15日に亡くなったということです。
事務所は20日午後、
「元気なあき竹城でごあいさつしたいと本人の希望もあり公表せずに治療を続けて参りましたが、今秋に病状が悪化してしまい、このようなご報告となってしまいました」
とコメントを出しました。
通夜ならび葬儀についてはすでに近親者のみで執り行われたということです。
【画像】あき竹城の若い頃はストリッパー!
小学4年生からモダンダンス教室で踊りを学んでいたあき竹城さん。
中学校卒業後、上京しダンサーとしてデビューされています。
当時は日劇のヌードダンサーとして活動し、他にもコメディ系のダンスなどもやっていたようです。
あらざんねん(写真はお若い頃の日劇 ト ッ プ レ ス ダンサー時代のあき竹城さんw) pic.twitter.com/RgTZXXqjK4
— rikiyadd (@dominiondd) July 25, 2018
一部では「あき竹城はストリッパーをしていた」との噂もありますが、本人いわく「ストリッパーではなく、あくまでもダンサーとして活動していた」とのことです。
そして、1974年にヌードダンサーとして日劇ミュージックホールの舞台を踏んだのち、山形弁を持ち味にしたコメディエンヌと認知され、テレビ出演も果たすように。
その後、1977年には東映映画『トラック野郎・度胸一番星』に出演すると、追跡中にトラックの排気ガスで顔半分が黒くなった上、上着を剥ぎ取られる婦人警官役で、トップレス姿を披露されました。
同作品に出演したことをきっかけに女優としての地位を確立されていきました。
そんなあき竹城ですが、実はもともと宝塚に入ることが夢だったようです。
しかし、習い事にお金がかかるからと金銭面などの理由から断念し、ダンサーとして活動していたそうです。
あき竹城の若い頃を知る世間の声
うわああああき竹城さんも鬼籍に…若い頃のエロかっこいいダンサーのブロマイドみてびっくりした記憶もある<RT
— ゴンザさんは冬コミ受かったぽいよ (@gonzarez69) December 20, 2022
隣のおっさんがワシも若い頃はあき竹城に世話になったって言ってた。御冥福。
— Dr.tim_pokusai (@timpokusai) December 20, 2022
あき竹城さん、僕の世代だと「ドラマや邦画なんかでコクのあるババア役をやっている人」のイメージだったので、菅原文太のトラック野郎シリーズをDVDで観てたら、若い頃のあき竹城さんがめっちゃおっぱい出してた時は「昔はお色気枠だったの!?!?」ってびっくりした。
— でるた (@delta0401) December 20, 2022
若い頃のあき竹城さんはまじで「イイオンナ」なんだよ…….
— りなち@虚無山空洞和尚 (@halrina624) December 20, 2022
美人というより、グラマラスで健康的な色気が爆発してるイイオンナって感じ。
あれっ…
— サラ (@Chuchnsdboy) April 2, 2022
若い頃のあき竹城とあつこおねえさん、ちょっと似てない…? pic.twitter.com/3rnd6iWvTF
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